日記
これなんてネタゲーム日記?
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やる夫でCK2! 導入 (2013/08/19(月) 06:00:00)

 

 

 

 

 

               ____
             /      \      今度の舞台は中世ヨーロッパだ!(唐突)
           / ─    ─ \
          /   (●)  (●)  \
            |      (__人__)     |
          \     `⌒´    ,/
          /     ー‐    \

 

 

 


注意

 

作者は中世ヨーロッパの知識に自信がありません。よって読んでて気になることが出てきたらググるか本買って調べた方がいいです。

文章内で意気揚々と中世ヨーロッパの知識をひけらかしてたとしても、それはダラダラ本を読んで身につけた付け焼き刃の知識です。間違ってても「なんだフィクションか」とながしてください。厳しいツッコミをいれられたら泣いてしまいます。

ここでひけらかされた知識を真に受け、

実生活で語ったりするととんでもない恥をかく恐れがあります。

あまり本気にしないでください

それでもワイは中世ヨーロッパの魅力に気づき始めたんや!

中世ヨーロッパにはまると当然今度は大航海時代にはまるんや!

でも正直ルネッサンスについてはまだよくわからん!

なのにイタリアが舞台だよ!

というわけで始めます。

 

 


中世ヨーロッパの最低限の知識を曖昧な説明でわかった気にさせる段落

パラドゲーは歴史を多少は知ってないとなんのこっちゃわからんと思うというか自分もCK2についてはそうだったので、とりあえず最低限だと個人的に思う知識をなんとなしに並べます。

細かい年代とかはぶっちゃけどうでもよいのです。受験の世界史じゃないので。

というかCK2自体ゲーム開始直後からIFの歴史を突っ走るゲームなので、気にするだけ無駄。

ただ、やってる途中で大きな出来事が起きたら、史実の似たような出来事と比較したくなったりはする。これは楽しい。

 


 

375年に始まったとされるゲルマン民族の大移動により西ローマ帝国は大混乱に陥り、476年に滅亡。

この大移動は元々施肥の知識がなく、氷食地形※でただでさえ痩せた土地(おおざっぱに言うと東欧+ドイツの一部)を短いサイクルで使いつぶして遊牧していたゲルマン民族でしたが、そんな生活は当然安定からはほど遠く、375年に中央アジア(おおざっぱにいうとロシアのど真ん中あたりから)同じく遊牧民のフン族が西進してきたためたまらずゲルマン民族も西進。最初はビザンツ(東ローマ)帝国(CK2時代には健在どころか繁栄中)に侵入しようとしましたが諦めて進路を変え西ローマ帝国に侵入したという感じらしい。

西ローマ帝国には既に傭兵や農奴、奴隷として少なからず生活していたものがいて、特にその中でもゲルマン人傭兵は民族大移動の際にその迎撃に当たるという同族同士の戦いを任されはしましたが、なにせ同族なのでまともに戦わず普通に迎え入れちゃうこともしばしばあった…らしい。ただ、西ローマ崩壊の理由は他にも色々あるみたいなんで、この辺は各自気になったら調べてみてください。…そもそも民族移動の始まる1世紀前にローマ帝国を4分割して統治(当然分裂し別の国状態になる)した時点で元祖ローマは終わっていたも同然だったようですが…。東ローマ帝国、というかビザンツ帝国は唯一発展しましたけど。彼らは自分達こそがローマ帝国の後継者という自負あって、その誇りが少なくとも虚仮ではない程度に繁栄も活躍もしています(勿論ローマ帝国に”追いついた”わけではないですが)。ビザンツ帝国が好きだという歴史好きは多いみたいですね。私は東ローマ帝国よりもビザンツ帝国という呼び方の方がすきで、ゲーム内でもビザンツ帝国という表記なので、以後はビザンツで統一します。

その後なんやかんやあって、ゲルマン人部族の一つであるフランク族がキリスト教にはじめて改宗し(表面上だけだったみたいですが)、この結果少数のゲルマン人(フランク族)が多数のローマ人を支配していたという極めて不安定な統治だったのが、キリスト教に改宗することで国内をいち早くまとめあげることに成功した…らしい。ちなみにこのフランク族が定住し、発展させた土地は現在のフランスにあたり、フランクはフランスの語源と言われています。

その後色々あったのち、フランク族でカロリング家の有名なカール大帝(シャルルマーニュ)が台頭、彼は西ではイベリア半島から侵入してきたイスラーム勢力を撃退して国内から追い出すことに成功し、南ではランゴバルド王国を征服、東ではドイツのザクセン族やバイエルン族(あのバイエルンです)を征服。さらに中央アジアからやってきたアヴァール人までをも追い返し一大帝国を築き挙げ、800年にはローマ教皇から西ローマ帝国皇帝位を授けられています。

書き忘れましたが、ローマ教皇の領土、いわゆる教皇領は、カールの父親であるピピンがブルグンド王国を征服した際に教皇に寄進したものが始まりとされています。

さらに西ローマとビザンツとで教皇が二つも立ってしまったのも、単純にローマが東西に分裂してしまったので、それぞれのキリスト教トップがどっちが正当か揉めて、解決する前に西ローマが崩壊してしまったのが原因のようです。ビザンツもまさか西ローマが崩壊した後もしぶとく教皇を自称するとは思ってもいなかったと思いますw

このいわゆるカールの戴冠には大きな意味があって、このときからヨーロッパがはじめて独自の道を歩み始めたといわれています。というのもこのカールの戴冠まで、ヨーロッパでローマ帝国といえばビザンツ帝国であって、さらにビザンツでは皇帝がキリスト教の教皇も兼ねていたので、ヨーロッパのキリスト教信者としてはローマ教皇はいてもどうしてもビザンツは無視できないし、世俗支配者層としても当時の男のロマンであったローマ復興をまずするためには、ローマ教皇から認められ塗油という洗礼を受けて、簡単に言えば「俺は一般人とは違って神の代理人たるローマ教皇に認められたんだぞ」という箔を付けられるかどうかは死活問題だったと考えられているからです。実際、カールの戴冠後は、どの国の国王も即位する際は教皇やそれぞれの国の司教から塗油を受けるのが通例になり、ローマ教皇の権力はどんどん増していくことになります(同時に腐敗も進みます)。

…ですが実際はカール大帝はローマ教皇に呼び出されたときにまさか皇帝位を授けられるとは思っていなかったという説もあったりするのでアレなんですが、個人的にはこの「権力はあったけど権威はなかったカールと、権威はあったけど権力はなかったローマ教皇」が結びついたとする説が人間くさくて気に入っているので、この説で話を進めます。

しかし、自らがキリスト教のトップでローマ帝国の後継者だという自負があった上に繁栄しまくってたので当然なんですが、ビザンツはこのことを勿論快く思っておらずこの出来事を認めようとはせず、さらに偶像崇拝など教義上の問題などもあって、このときから本格的にキリスト教は、ローマ教皇のキリスト教とビザンツの東方正教とで別の道を歩むことになります。

とはいえカール大帝からすれば、最初の箔さえつけてもらえればよく、以降はビザンツ同様、自分の息子に自分で皇帝権を授ける形で皇帝権を相続させていこうとさせていきましたが、ゲルマン民族には国家権力は不可分であるという考えが理解出来ず、またまだ中世ですので、皇帝が国の全土を直轄地として管理するわけにもいかず、さらにその広い領土は偉大なるカール大帝だからこそ維持できたわけで、とどめにフランク帝国(カールの帝国のこと、西ローマ帝国と区別するために…というか実際に彼が西ローマを引き継いだとは考える人は少ない)にとっての地中海貿易はが破綻しかけていたため、彼の死後はゲルマンの伝統通り、彼の息子3人で領土が分割されることになりました。この分割相続は日本でいうところの田分けと同じで、結局一つのものをどんどん平等にわけていくと最終的にはとても小さなものになってしまうということで、フランク帝国の王権はこれで一気に弱体化しました。その上三分割したあとは、ちょうど真ん中にあった中部フランク王国国王ロタール一世が逝去し、結果また彼の息子の3人の息子でロタリンギア、プロヴァンス、イタリアと中部フランク帝国が3分割されるというグダグダな展開に。

863年にプロヴァンスを納めていたカール(カール大帝の孫)がなくなり、プロヴァンスはロタリンギアに吸収されます。そしてこの863年が今回のプレーの開始年度です!ここまで長かった!

ちなみに…史実ではこのあとロタリンギアのトップも無くなりロタリンギアは東部フランクに、プロヴァンスは西部フランクに吸収されています。

しかもこの頃、というか9世紀は第二次民族大移動がありました。スカンジナビア半島(現在のノルウェー、スウェーデン、フィンランド)やデンマークからノルマン人が来襲。彼らは船で襲いにきたわけですが、ヨーロッパの川は日本と違い長く緩やかなため、川をさかのぼってやってきたので被害は内陸にも及びました。そして上記のようにフランク王国は権力を分割しすぎて全く抵抗力を持っておらず、常に土下座外交というか…お金払って帰ってもらうというか…そんな感じで役立たず状態でした。このとき農民を守ったのは地方地方で”城塞を建てることの出来る”権力者で、彼らは自分で建てた要塞で農民を守る代わりに農奴として働かせ、その領土内で経済を回しました。なにせ彼らが守ってくれないと村は燃やされるわ、食料は強奪されるわ、女はピーされたりさらわれるわで散々だったのに、自称王様はなんもしてくれない。でもオラの領主様は年貢さえ納めれば守ってくれるだで! というわけでヨーロッパは完全に地方分権祭りになります。王なんて直轄領は少ないし、民は守ってくれないしで完全に自称でなんの強制力もない時代だったわけです。ゲーム内でも序盤はノルマン人がノリノリで侵略してきます。お楽しみに?

このあたりの中世封建制の仕組みはゲーム内で触れられたらちょくちょくふれていきます。といってもCK2は内政は簡略化されてますし、中世封建制も割とわかりやすく簡略化されていますので、もっと詳しく知りたい方はやっぱり自分で調べましょう(丸投げ)。


※ちなみに氷食地形とはこれまた簡単にいうと、氷河期に地球のほぼ全面を覆っていた氷河が、暖かくなるにつれて、まず一番暖かい赤道付近の氷がほぼ溶けた後に、北極周辺の大きな氷が南に溶けながらゆっくりと滑って行った結果、氷というのは侵蝕の力が強いので大体北欧・東欧からドイツあたりの栄養を含んだ土地をごっそり運んでいってしまいこの当たりは痩せた土地に、栄養たっぷりの土はフランスやスペイン、イタリア等に運ばれ、おかげにここらは肥沃な土地になったうえに、このあたりは地中海性気候といって温暖で作物を育てやすい地理的条件が揃っていたため、技術が進歩するにつれフランスやイベリア半島、イタリア等は農業が大幅に発達。農業が発達すると人口が増える。人口が増えると兵隊も増える。兵隊が増えると戦争に勝てる。戦争に勝てるとますます豊かになる。

というわけで中世ヨーロッパでは現在でいうところのフランスやスペインがこの立地を生かして発展していった。…という側面もあります。中世では技術的な問題で大きく見れば絶対的な格差はなかったんじゃないかな…と自分が勉強した範囲では思います。

ちなみにイギリスはまた事情が違って…あそこは元々ヨーロッパ大陸の一部だったのに離れちゃって、しかもその後新しくできた島がくっついたり、海流の関係で気候が違ったりでとにかくややこしいので説明は省く。

ただイギリスは三圃制の発明や産業革命などで技術で一気に逆転してますからまた面白い。周りが海だから、制海権さえ握れば本土は叩かれないという大きな強みもありましたし。

 

 

 


AC867 ベネヴェント公国

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舞台は現在のカンポバッソがあるあたりの、BENEVENTO(ベネヴェント)公国。

ちなみに公爵や伯爵がよくわからない人のために! というかこのゲームでしか恐らく通用しない知識ですが紹介!

単純に

皇帝→国王→公爵→伯爵の順に偉い!

めちゃくちゃ大ざっぱに言えば、伯爵領は日本でいうとことろの県、公爵領は関東とか九州とかの州、国はそのまんま国、帝国は複数の国を統べてる、国の上位互換と考えてくれればおk。

で、公国と公爵領、伯国と伯爵領の違いは、上に国王や皇帝などの支配者層がいれば公爵領、伯爵領、完全に独立してれば公国、伯国という。

だからジオンも一年戦争起こすまではジオン公爵領がただしいんだよ多分!

ベネヴェント公爵領は開始時点では独立してるのでベネヴェント公国として扱います。


当主 ヤルオ・ディ・ニューソクデ

 

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当主であるやる夫の能力。

ちなみにディ~とかデ~とかファン~とかフォン~とかは~家のという意味を表す。武田家とか織田家とか徳川家とかそんな感じ。

上のうちどれを使うのかは言語による。今回はイタリアなのでディ・ニューソクデ、つまちニューソクデ家のやる夫。

このゲームはある一族の繁栄を目指すゲームなので家の把握は大事である。DLCのエディタで作っただけなので彼一人しかしませんが。

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ニューソクデ家紋

これもDLCで簡単に作れるようになっている。ただし英語版のみ。

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立地はこんな感じ。大国に囲まれてます。

東にはビザンツ帝国、期待にはロンバルディ(イタリア帝国)、その上には見えないけど東から東フランク王国、ロタリンギア王国、西フランク王国、西フランク王国の下にはアキテーヌ大公国があります。

※公国の中でも特に協力なものを大公国という。公国の上位互換。


つ、疲れた…導入部分で凄い時間を食ってしまった。自分でも知識を整理できたからよかったけど。

というわけで本編は次回から。AA使用も次回から。

今回文字だらけだけど読んでもらえるか心配ですがそもそも自己満足ブログだから気にする必要なかったね!

ではまた次回。

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